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高校生〜社会人へ [プロフィール]


高校時代
晴れて東京行きを決めた私は明大中野付属高校の定時制に通い始めた。東京に着いて、すぐはホームシックがすごかった!下宿先の私の部屋に父からの初めての手紙があったの。今でも大切に取ってあるけど、すごく悲しくて寂しくてその日は一晩中布団の中で泣いてた。

なんとか東京に慣れようって覚悟した私は高校での友達作りにすごく時間を割いた。私は記憶にないけど、下足室で会った瀬野かおりって女の子に「私野村冨美代って言うの!よろしくね!」って話しかけたらしいの。今でもかおりは親友だけど、この女これに尾ひれつけて話すから「私、フー!よろしくね」って握手してきた・・・に変わってるの(笑)

お陰でこの学校での友情は今も変わらずに残ってて本当にみんな仲がいい!卒業式の日は名残惜しくて東中野の駅前で朝まで座り込んでた。高校時代は、歌うことをもっと、一生懸命にならなきゃいけなかったのに遊びと恋に夢中になってた。夜の学校だから遊び方が大人と同じなの。夜な夜な六本木に繰り出してた。この頃はまだおしゃれな大人の街だったからすごく珍しがられて色んな人に可愛がってもらってた。

 高校時代は一人の男の子とずっと付き合ってた。彼はものすごうく女の子が好きだったから、何度も別れてちょこちょこ他の男子ともおつき合いしてた(腹いせ・・・可愛くないね!)でも、結局は彼が大好きだったからいつも元の鞘でした。普通に友達も家族も二人は結婚するって思ってたみたい。自分たちもそう思ってたけど、結局6年のおつき合いで終止符。今も時々会う(私たちの仲間はしょっちゅう飲み会をやってるから)けど彼は既に2児の父です!

高校時代は本当に大切な想い出がたくさんある。悲しいけど我が母校は定時制が廃止になりました。先日友人4人で校門をバックに記念撮影してきた。高校時代からタレント活動を始めたのですが、歌手としてお金をもらうようになったのは20歳になってからでした。

社会人
20歳でライブハウスで歌い始めてからは、やっと本業が歌手になりました。それから今までCDデビュー、コーラス活動開始・・・と現在にいたります。


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小学生〜中学生 [プロフィール]

小学生時代

 小学生の頃には習い事で1週間がハードでした。日舞、お琴、お習字、エレクトーン(今も実家には誰も触らない大きな3段鍵盤のブツがあります)水泳、算盤(今ないよね!)器械体操etc・・・なにせ、全て自分がやりたいと言い出したそうで・・・忙しい小学生でした。

 小学校5年生になる頃に歌を習い始めて、ここからの2年間はちびっこ歌合戦!みたいな番組を荒らしてました。小学生で網タイツ履いて「こ〜れ〜も〜愛!あれも愛!・・・」なんて歌ってました。

 小4の頃に大好きだった筒井先生と言う恩師を白血病で亡くして始めて人の死について子供ながらに本気で考えて当時の作文や詩はテーマが「死」ばかりです。かなりのショックだったのでしょうね。すごくお転婆だっただけに母も心配してたみたいです。

中学生時代

 中学は本当に行きたくなかった!テレビに出ていたことで、すごく目をつけられて(恐い先輩達)小学校にまでお迎えとか来ちゃってたから虐められるのが目に見えてたの。どうしても私立に行きたいって言う私に母は「あんな人間から逃げるためなら絶対にダメ。今逃げたらこの先の人生も逃げることになる」って赦してくれなかった。母も必死で守ってくれたけど、校門の先は子供だけの世界だからね・・・。

 入学式にさっそく10人くらいの金髪のお姉さま(当時は分かりやすい不良スタイルがあった)に囲まれて「じっくり可愛がったるわ?」って!恐かったよ!!!

 でも、友達と先生と母の絶大なる愛があったから屈することなく戦えました!中学では器械体操部に入り体操に夢中になるあまりに、他の習い事をさぼってばかりになっちゃってた。歌うことまでも・・・そのくらい3年間は体操に燃えてました。

 体操部の顧問の片山先生は私の人生の中で親と同じくらいにいろんな事を教えてくれた方でした。この先生と交換日誌みたいにしてた体操ノートは3年間で数十冊にもなって今も大切に保管してある。残念ながら去年亡くなりました。でも、壮絶な人生で本当に器械体操を愛してた方で片山先生が行く中学は全て全国優勝するという、信じられない業績を残されました。最後は、ものすごい数の教え子が集まり立派なお葬式でした。

 中学で本当に男性を意識始めた私・・・それまでも気の多い女の子だったけど(笑)中学1年の時に出会ったジョウジ君に抱いた気持ちが本当の初恋だったかも・・・ラグビー部の彼はすごくもてて、初めは友達の告白を引き受けて彼に会いに行ったのですが、まんまと一目惚れでした!当然友情は大切だから誰にも言えずにいたけど、2年になった時に晴れて告白!恋は成就しました。1年近くの片思い(こう見えても未だに奥手なの)のあげくの結果だから初めは話すだけでも心臓が破れちゃいそうなくらい!でもある事をきっかけに大げんかになって結局は意地の張り合いでThe end!だけど、私は卒業するまで好きだった。卒業してから高校生の頃に会って、よくある話だけどお互いに想ってたって事が分かった。だからやっぱり想いはちゃんと伝えないといけないのでしょうね!

 中学は虐めがなくなってからは楽しくて楽しくて卒業したくなかった。母が大笑いしてた「人生の門出やのに人生終わりみたいな悲鳴上げて泣いてたな」って!

 当時は体操に没頭しすぎて推薦で京都の高校に行って日大出て学校の先生になる気でいたの。でも、やっぱり歌は好きだったからオーディションとかは受けてた。その中の一つの話で東京行きが急浮上したの。15歳で一人で東京なんて親はショックだったと思う。でも、我が母は「やらなきゃ良かったって後悔より、やってれば良かったって後悔の方がずっと大きい」って涙ながらに送り出してくれました。


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誕生〜小学生になるまで [プロフィール]


誕生
昭和40年代のある年の12月4日、12時20分、2780グラム、野村家の長女として誕生。父昭次、母清子、兄将勝の4人家族になりました!(4年後にはまた妹直美が生まれて5人家族になります)

 色が白くて小さな赤ちゃんだったそうです。瑠美子と言う名前を付けたかったそうですが、役所では当時、この瑠が人名として認可されていなくて叔母が祇園の有名な姓名判断のところに走り、冨美代と命名されたそうです。(あらかじめ調べるよね?普通)

 父が病院に着いたのは面会時間を過ぎた頃で、その日にはどうしても私を抱かせてはもらえなかったそうです。その数時間後に来院した当時有名な俳優だった叔父は、看護婦さんがファンだったらしくあっさりと面会が許可され、初めて私を抱いてファーストキスを奪ったのは父ではなくこの叔父でした。この二人は未だにこのことで確執があるみたい(笑)


2歳〜小学生になるまで
 2歳半にして既に日本舞踊を始めて3歳になる前には発表会があり京都の先斗町にある歌舞練場と言う、由緒正しい舞台に立つ。これは史上最年少だった為、当時京都新聞が大きく取り上げて今でもその記事は母が大切に保管してくれてます。

 その2年後にはお琴を習い始めました。こういうのはやっぱり京都らしいのかな?この頃から写真を見ると、意志の強そうな顔をしています。日舞の発表会の写真は小学生に上がる頃までは殆どが泣きそうな顔なの!カツラがいつも痛くて痛くてたまらなかったみたいで・・・

 3年保育の幼稚園に行く頃には既にどこに行っても歌を披露してたみたいです。ほんの少しでも、お立ち台になるようなものを見つけるとそこをステージにして大きな声で歌いながら踊ってみたいです。笑い話ですがある時、母が道を聞かれ、いきなりその人に向かって私は歌い出し、結局1曲歌い終わるまでその方は苦笑いで聞いてくれたそうです。既に幼稚園に行く頃には「歌手になりたい」って言ってたそうです。


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